無題

小言

機械あるものは必ず機事あり 機事あるものは必ず機心あり

先日仕事が終わってバスに乗ったところ

 女子高生が20人ぐらい乗っていた。同じ制服を来ていたので近くにある学校の生徒だろう。

1人か2人の寝ていた者を除いて全員が黙ってスマホをやっていた。非常に不気味な光景だった。皆がマスクをしていたから余計不気味さが増したのかもしれない。

 電車は最近乗っていないが、都会にいた時も電車に乗ると、どの車両に於いてもこの不気味な光景にお目にかかれる。各座席の8割ぐらいはスマホをいじっており、1−2割ぐらいは本を読んでいるか寝ているかだ。

 西部邁氏は著書『保守の遺言』のなかで電車の中で「スマホ人の群れを眼にすると吐き気が催されてならない」、電車には乗らずタクシーを利用していると言っていた。僕は吐き気までは感じないが、ディストピアの一景だと思う。

 

 話変わって、最近仕事でこんな経験をした。午後0時ごろ、病棟の看護師から「先生、また吐血しました!」と報告があった。

「えっ、またってどういうこと!?」

看護師「(怪訝な声で)夜勤の看護師から聞いていませんか?今朝4時ごろに黒色の嘔吐があったのですが、さっきまた吐きました。夜勤の看護師からは先生に伝えたと申し送りを受けています」

「いや、全く聞いていません。とにかくすぐ行きます。」

 がんの末期状態で入院している高齢の女性だ。認知機能の低下があるせいか、自ら症状を訴えることはない。今朝の回診時もいつもと変わらない様子で簡単な受け答えができていた。頻脈などのバイタルサインの異常や衣類の汚れもなく、まさか吐血した後だとは思わなかった。

 消化器内科医にお願いして緊急で内視鏡をしてもらいことなきを得た。

 落ち着いた後に確認したところ、看護師は私に院内メールを送ったらしい。確かに多くの院内メールの中に吐血したという内容のメールが来ていたが、その時間には見ていなかった。

 私は朝7時45分ごろには病院に来ており、すぐに院内PHSで連絡がつく状態だし、夜勤の看護師も朝10時ごろまでいるのだ。

吐血をしてもメールかよ!その看護師には後日、優しく注意した。

 

 おまけに先週あったことだが、僕の下についている3年目の女医が、いつになっても病院に来ないのだ。電話もない。その時は知らなかったのだが、どうやら僕にメールしたらしい。僕はそんなにメールを見ない。伝えにくいこともメールだといいやすいのだろう。

便利な世の中になったものだ。彼女には休む時は直接連絡くれと伝えた。

 

 機械あるものは必ず機事あり 機事あるものは必ず機心あり

 

山本夏彦翁の本でたびたび紹介されている、「荘子」の中の言葉である。

スマホやメール(そしてこのパソコン)は確かに便利で時間や労力の節約になるかもしれない。が、使っているうちに機械に頼る心が芽生える。テレビも原爆も出来てしまったものは出来る前には戻せないと山本夏彦翁はいっている。

 まさにその通りで、今更スマホやメールの悪口をいうのは野暮である。僕がそれらを使いこなせていないだけではないかと言われればそれまでである。が、野暮を承知でいうと、「機心」が甚しくなり、大事なものを失っていないか。

 今日は朝から読書をしていた。今日はやるまいと思っていたが、つい思い立ってパソコンを開いてしまい、この愚痴のような記事を書いている。

これも機心である。