無題

小言

いわゆる「大阪都構想」

明日ついに決まる大阪市廃止・特別区設置住民投票

大阪都構想の投票ではない。

私は栃木県の人間なので、岡目八目の立場なのだが、今回の「大阪市廃止」が賛成多数で可決された場合、大きな流れが変わると思っている。一つの政令指定都市が廃止されて区に分割されるという、一大スペクタクルを明日目撃しようとしている。

市を廃止して、区になるなると、これまで政令指定都市として持っていた多くの権限がなくなる。金も年間で2000億程度は大阪府にに吸い上げられる。

行政を4つの区に分けるが、その分割のコスト(費用、労力)も馬鹿にならない。

賛成の人が口を揃えていうことはこうだ。

二重行政に対してNOを突きつけ、既得権益を破壊するのだと。とにかく改革しなければならない。

反対する人間は既得権益の側にいる人間であると。

 二重行政、既得権益。改革。こういうワンフレーズをみんな口を揃えて言う。意味もわからなく言う。郵政民営化の時だってそうだった。

 そりゃあ市と府の利害が対立して合わないこと、決まらないこともあるだろう。それは自分たちの利益を最も優先するからだ。その中で他者と時間をかけて折り合いをつけていくものだ。私たちは個人ですらそういう生き方をしている。

然るに、相手に自分の意見を通すために、相手を市から区に大きく降格させて口も聞けない様に、消してしまおうと言う考えである。邪悪と言う他ない。

私が「既得権益を潰せ」に賛同できない理由は、外見は正義にみえて、中に怨望(えんぼう、つまり恨み妬み)、キザな表現を使えばルサンチマンがあるからである。

福沢諭吉も「学問のすすめ」の第十三編「怨望の人間に害あるを論ず」で述べている様に、怨望はの中で不善の中の不善と言っている。他人の幸が自分の不幸の原因とし、不平不満の基に、他人を不幸にするという働きである。「我を益せず、他人を損ずる」のみである。

 「既得権益」云々の根底にはあいつは自分より得しており、ずるいからそれを引きずり下ろそうと言う考えである。そう言う活動を彼らは正義と呼ぶのだろう。

 一つの市を4つに区分けするという必然性ってなんだろうか。それにはどれだけの労力がかかるか。どうせ他人事だろう。その程度の想像力も我々は持ち合わせていない。

住民の生存にとって必要だというのならわかるが、どう見ても必要ではない。

どう見ても住民にとって不利なのに、それに住民たちが賛成をいれるというのは狂気の沙汰である。

藤井聡氏のいう様に必要なのは、大阪市廃止ではなく、大阪市を活性化させる大きな計画(プロジェクト)だと思う。一つの大都市を分割するというのもプロジェクトかもしれないが、相手を弱体化し、引きずりおろすという負の活動であって、何かを創造するという生産的なものではないだろう。

 明日の大阪の選挙は我が国に莫大なインパクトを与える選挙だと思う。